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2011年 10月 20日

家族性大腸腺腫症と自分。病気発症までの自分と家族について。

まずは自己紹介から。

病気と関係無いと思われるような内容が多いかも知れませんが今一度自分を見つめ直すためにも書いておきたいと思います。

昭和46年10月に生まれる。
2つ違いの(学年は3つ)兄がいる二人兄弟。

小さい頃は怪我が多い子供で縫うことが必要な怪我を何かとしてました。

病気はこの家族性大腸腺腫症を発症するまではほとんど無かったように思います。
ただ、腸は弱くお腹の調子をよく崩してはいましたね。

小さい頃は兄の方が体が弱く特に小児ぜんそくはひどかったと思います。恐らくアレルギー反応を見るためだと思いますが背中にマジックで何カ所にも印をつけられそこに注射をうたれて、小さいながらに兄ちゃん大変やなー、かわいそうにと思いました。

その後、自分が病気を発症し逆に兄に大変やなー、かわいそうに思われるとはこの時、夢にも思わずのんきに過ごしておりました。

この頃は両親と兄と自分の四人家族。親父がちょっと特殊な職業のためほとんど家にはおらず何ヶ月かに1度帰ってくるような感じでした。

なので親父が帰ってくるのが嬉しくて家にいる時は親父の行くところにどこへでも着いて行きました。

仕事もがんばってくれてたおかげで稼ぎも良く小さい頃は結構贅沢させてもらいました。

この頃は本当に幸せを絵に描いたような家族だったと、この頃の写真を今見ても思うぐらいみんな良い顔をしております。

兄のぜんそくも大きくなるにつれて良くなっていきました。兄のぜんそくに良い環境を作るためにと即決で家を増築したことを思うとこの頃の親父は本当に稼いでいたんだなと今更ながら思います。

その頃、自分は幼稚園。自分の人生での幸せのピークはこの時期だったと思います(苦笑)

その後、自分が小学3、4年だったと思いますが、親父が職を変えることになります。それまでの職業は家にも中々帰れず、体力はもちろんのこと食事制限等の管理もかなり必要で心身共に限界だったんだろうと思います。

その後、親父は親戚の伝手もあり何を思ったか会社を始めることになるのです。

その頃、会社を始めるにあたって親戚の会社に一時的に行くことになるのですが、その姿を見てこれからは、ずっと親父がそばに居るのでうれしいはずが、なぜか嫌な予感が小さいながらにしたことを今でも覚えています。

その後、会社を始めて専業主婦だった母親も会社に出ることになり、距離的には家族全員近くにいるはずが、なぜか気持ちはばらばらと離れていったように思います。

その頃、祖母が自分達の面倒を見てくれるために同居するようになりました。

その後、従業員も増え、会社も大きくなっていきました。それに比例するかのように家族は離ればなれ、特に母親は慣れない状況に心身共に大変そうでした。

取引先との接待、資金繰り、そのストレスを発散するためかよく酔っぱらって帰って来て子供心に親父はだんだん以前とは違う人格になっていったように感じました。

そんな中、親父が取引先との接待中に目を大怪我し入院するということになりました。

今思うとこの頃が家庭崩壊の始まりだったように思います。寒い冬の時期でした。

親父の目は手術のおかげで何とか失明せずにすみました。でも何となく形と色が見える程度で視力は回復の見込み無し。ほとんど片目で生活しなければならないとのことでした。

入院も長かったように思います。自分も母親について隣町の病院まで何度も行きました。

そんな中、自分の体にも異変がおこり始めました。

その異変とは血便。

そのことを何か怖いやら恥ずかしいやらで母親に伝えたように覚えています。

その頃、母は仕事と親父の入院の世話やらで忙しくてそれどころでは無く、またそんな重大な病気と考えもつかずに大したことはないだろうと聞き流す程度でした。

ただその血便はその後も止まること無く、自分でもただ事ではないように思えました。

それは母も同じで、その後、地元の市民病院に診察に行くことになりました。

この症状が家族性大腸腺腫症というその名前すら知らない病気によるものだとはこの頃、誰も想像すらしてませんでした。

この頃、自分は12歳。小学6年生でした。

この続きはまた次回に。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-20 21:50 | 家族性大腸腺腫症 | Comments(0)


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