「ほっ」と。キャンペーン
2011年 11月 17日

家族性大腸腺腫症と自分。大腸摘出手術。その1。

半年前ぐらいから、胃、食道の調子が中々すっきりせずに病院にも何度か行ったのですが、ここ数週間また逆流生食道炎らしい症状と胃の調子が優れず、もやもやしてまして今日も朝から調子が悪いので無理を言っていつも行ってる大学病院に診察に行ってきました。

診察の結果はそこまでひどいことはないとのことなので胃カメラはまた来年でも良いとのこと。

それと今日診てくれた先生は2年前にお世話になった先生で、一時期この病院とは違うところへ行ってしまったのですが、最近お戻りになったそうです。

優しくすごく良い先生(この科の先生は皆さん良い先生です。)だったのでまた会えて嬉しかったです。

先生も手のかかる患者だったので人工肛門が取れたこと、そしてまた会えたことを本当に嬉しそうにしてくれてました。

今後も機会があれば診てくださるとのこと。本当に心強いです。

がんと宣告されてから、そして2年前の手術で再入院してから何か少しでも調子が悪いと、またとんでもない病気ではないかと、かなりナーバスになってしまいます。

もう少し気持ちを大きく楽に持ちたいと思うけど中々難しいです。

そんな中、先生は少しでも悪かったら気にせずに来て下さいと言ってくれてるので本当に有り難いです。

普段の生活をなるべく規則正しく暴飲暴食はしないように心がけ体の調子を整えて悩みの種を作らないようにしなければと思います。

でも、我慢のし過ぎもストレスが溜まったりしてバランスが難しいな。

それにしても今日はやっぱり行って良かった。気持ちが楽になりました。どことなく胃の調子も良くなった気がします。

本当、良かった、良かった。



前置きが長くなりましたが、そんなこんなで久しぶりに前回の続きです。

その時、親に先生から告げられたこととは大腸摘出手術の話でした。

この時点では直腸も摘出するということになっていて永久人工肛門になるとのことでした。

ただ両親がまだ14歳の子供が永久人工肛門になるのはあまりにもかわいそうなので何とか直腸だけは残せないものかと相談してくれて、その後、軟便で下痢になり、残した直腸もいつがんになるかわからなく経過観察はずっと必要になるけど、それでも良いならと、直腸を残す方針になりました。

この時の両親が言ってくれてなければ、自分は永久人工肛門になっていました。

この当時こういう判断をしてくれて先生に相談してくれた両親には本当に感謝しています。

でもまだこの時点では自分は何も知りませんでした。

この話が来た頃はまだ夏前。そしてこの当時正直言うと親父のやっていた会社もかなり大変で親父の普段の生活も荒れ気味で両親の仲もあまり良くありませんでした。

そんな中、中学二年の夏休みに両親から旅行に行こうと提案がありました。兄貴は遊びに勉強に忙しく行かずで、ばあちゃんは留守番、なので両親と自分との三人で行くことになりました。

行き先は北陸。行く前もそうでしたが、旅行の道中でも何か違和感を感じてました。

両親の仲が悪いのになんで旅行なんやろ?道中の車の中でもその当時両親の間に険悪な雰囲気がしていたように感じてました。

でも、それでも楽しい時間になるようにとしてくれてたように思います。

そしてこの日のことが忘れられない理由に、旅館について一息つきテレビを付けたところとんでもないニュースがやっておりました。

この日は1985年8月12日。御巣鷹山に日航機が墜落した日でした。

旅館で両親と三人でテレビで報道されるニュースを見ていた光景を今でもよく覚えています。

この年はこの1年前からのグリコ森永事件や長引くロス疑惑など今でも良く覚えている事件があった年でした。

そして旅行から帰って来て自分に両親からあることを告げられます。

それは夏休みが終わったら入院して大腸摘出手術をしなければならないとのことでした。

この時の旅行はどんな体になるかわからない息子にと仲のあまり良くなかった両親が息子が旅行に行ける体の内に最後になるかもわからないと考えてくれた旅行でした。

この続きはまた次回に。
[PR]

by 1971cb750k1 | 2011-11-17 15:49 | 家族性大腸腺腫症 | Comments(0)


<< 家族性大腸腺腫症と自分。大腸...      曽爾高原。 >>