1971年製のバイクと人

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カテゴリ:家族性大腸腺腫症( 14 )


2011年 10月 25日

家族性大腸腺腫症と自分。初大腸内視鏡。

昨日は月1回の外来。入院してたころからどうも肝臓の数値がちょっとだけ良くない。昨日の血液検査ではビルリビンの数値が高いとのこと。あまり気にするほどではないらしいけど、やっぱり気になる。

その他、おしりの処置で結構ビビってしまった。見方によっては拷問やな、あれは...。でも後々大変にならないための処置。これぐらいで済むなら楽な方だと自分に言い聞かしております。

そして今日から40代。無事に40歳を迎えられたことは本当に嬉しい。皆様に感謝です。今までの経験を糧に、そしてご迷惑おかけしたところは多いに反省し気持ちも新たにがんばろうと思います。


さて、そんなこんなで前回の続き。

前回の注腸検査から程なくして検査結果の知らせが来ました。やはり大腸ポリープがあるとのこと。

早速、大腸内視鏡をすることに。

大腸内視鏡とは、注腸検査の時と同じようにお腹を空っぽにして胃カメラと同様のファイバースコープをお尻から入れて観察し必要があればポリープなどを切除する(場合によっては切除出来ないこともある)検査です。

また検査か...。前回の検査が終わりほっとしたのもつかの間また検査、今度は何やら前回と勝手が違う様子。

でもこの時点では検査自体というより前処置の絶食と、天敵マグコロールの方が憂鬱で憂鬱でしょうがありませんでした。

でも、それが甘かったと気づくのにそう時間はかかりませんでした...。

で、やっぱり危惧してた通り前処置に苦しみ前回同様ぼろぼろで検査に挑むことに。

検査台に乗って先生が来るまでは前回と同様。やっぱりドキドキします。

でも注腸検査の時、バリウム入れる管を入れるのが思っていたより楽だったため割と余裕でいたように思います。

そして記憶が曖昧ですが、この大腸内視鏡検査の詳しい説明を自分にはされて無かったと思います。恐らく詳しく説明したら泣いてわめいて頑に拒否すると母親は考えたに違いありません。

でも少し前回と様子が違うことに注射を打たれ少しもうろうとしながらもだんだんと気づいてきます。

K先生のやさしい言葉も今回は少し勝手が違う。何か緊張感ある...。かなり不安...。

そしてその黒い物体が登場。

K先生の『さー、がんばろか!』

嫌な予感...。

そして程なく予感的中...。

注腸検査とは桁が違ってました。今から28年前のこの時のファイバースコープ自体、性能、苦痛度も含めて今より何かと大変だったように思います。

それを見落としが無いように入念に盲腸まで。そして必要があればポリープの切除していきました。

腸が湾曲したところにファイバーが通るのと、空気を入れて腸を膨らませるのが本当に辛くていつまでこの状況が続くのか時間が経つのが凄く長く感じました。

『先生まだ終わらへんのーっ!』と何度叫んだかわかりません。

あまりに自分が叫ぶのと、腸の状況を先生が説明するのに途中で母親が入ってきました。

検査の様子とその状況、そして叫ぶ自分を見た母親が辛そうな顔と声で自分を励ましてくれたのを覚えています。

そして何とか盲腸まで到達して抜いてくる際にも見落としが無いように観察しながらなのですが、入れている方向よりは少し楽。もう少しで終わるという言葉が何よりの救い。

本当はポリープを切除したら取り出すのですが、自分があまりに痛がるのでそのまま腸の中に放置して、汚い話ですいませんが、排便して取り出すことにしてくれてました。

時間がどれぐらい経ったか覚えてませんが、感覚ではもの凄く長かった気がしました。終わった後もぐったり。凄く疲れました。

これが初めての大腸内視鏡検査でした。今まで何回したかわからないぐらいしてますが、やっぱり嫌ですね。特に腸が全部あった時は本当に辛かった。

でもやっぱりこの時はまだ検査が終わったらお気楽に過ごしてました。

病気の状況も本人には把握出来ないだろうと知らされることは無かったし、検査が終了したらそれで終わりだと思ってました。

ポリープの生検の結果が分かるのがおよそ1週間後。

その結果は最初は親だけに告げられました。

そしてここから中学2年生の大腸全摘出手術までこの検査が続くことになります。

この続きはまた次回に。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-25 16:14 | 家族性大腸腺腫症 | Comments(0)
2011年 10月 22日

家族性大腸腺腫症と自分。初注腸検査。

この時期の詳細は自分のことながら幼かったこともあり病状の説明も本人には詳しくされておらず、それと何せ28年前のことで正直あまり良く覚えてはないところもありますが、わずかな記憶を辿って書いていきます。

まず症状をいって通された先は内科。この時、診察してもらった先生は覚えてませんが、まずされたことはおしりから指を入れて触診されたことだと思います。

これで痔かどうかなどを含む診断をしたんだとは思いますが、これが入れるだけでなくあちらこちらに向きを変えてぐりぐりとかなり力を入れて奥の方まで入れるもんですから、初めてのことでびっくりしたのと痛いので一発で病院恐怖症になりました。

この診断で痔ではなく大腸ポリープの可能性があるということで注腸検査をすることになりました。

注腸検査とは腸の中を空っぽにして、おしりからバリウムを入れてレントゲンで陰影を見る検査です。

数日後この検査の予約を入れてこの日は終了。

そして検査の前日、今とは少し違い記憶も曖昧ですが、お腹を空っぽにするために検査食のクリニミールという食事を取るのですがこれが自分には合わずにほとんど食べれずに絶食状態で1日を過ごしました。

そしてその夜にラキソベロンという液体の薬を水に溶かして飲んで就寝。

そして当日マグコロールという激酸っぱい液体の下剤を飲まなければならないのですが、これがまずくて飲めない。

飲めても吐いてしまう有様でかなり辛かったです。その後、大腸ファイバー、注腸検査の時は検査自体も辛く憂鬱なんですが前処置の絶食とマグコロールは本当に辛くて恐怖でした。

マグコロールという名前を聞いただけで今でも口の中が酸っぱく、お腹の辺りが気持ち悪くなってくる気がします。

そんなこんなで、ぼろぼろ状態で初の注腸検査に挑むことになります、

受付で指定の場所を聞きその前で呼ばれるまで待つのですが緊張と恐怖で死刑執行を待つ気分でした。

かたっと検査室の扉が開くたびに、びっくとしていたのを覚えています。

そしていよいよ順番が回ってきました。

片側に穴の開いているパンツを履かされて、台の上に寝かされます。腸の動きを止める注射ぐらいは打ったのでしょうか、この辺は曖昧ですが、そんな感じで心臓バクバク半泣き状態で検査をしてくれる先生を待ちます。

そして奥から先生の登場。小学生の自分にやさくし声をかけてくれます。

この人生初の注腸検査をしてくれたK先生が本当にやさしい先生で検査も上手くて今でもこの先生が
最初で良かったとつくづく思います。

やさしいだけで腕が今一というのはいけませんが、辛い検査、治療中にやさしい言葉で対応してくれるのは先生だろうと看護士さんだろと患者にとっては本当に救いになります。

そのK先生に少し緊張をほぐしてもらいつつ早速検査開始。

お尻にワセリンのような物を塗ってバリウムを入れる管を入れます。

これが何とこの間の触診よりかなり楽で少し拍子抜け。でも油断は禁物。今から辛いことがあるに違いないと思っていたのですが、多少空気を入れる時は辛いですが、その他はほとんど痛みも無く台の上で指示されるままにあっちを向いたり、こっちを向いたりする程度。

30分ぐらいで終了。

検査結果は後日ということでこの日は終了。

検査後に飲んだフルーツジュースが美味しかったの今でも覚えています。

この後、バリウムを出すのに下剤を飲み、またトイレに通わなければなりませんでした。

こんな感じで初めての注腸検査は終了しました。

今では検査自体も、もちろん辛いですが検査結果を待っている時間が一番辛く気がおかしくなってきそうなこともありますが、この頃は検査が終わればこっちのものと検査結果など気にもせずにお気楽に過ごしておりました。

その後、大変な大腸内視鏡の検査をすぐに受けなければならないとは夢にも思わずに。

この続きはまた次回。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-22 14:05 | 家族性大腸腺腫症 | Comments(2)
2011年 10月 20日

家族性大腸腺腫症と自分。病気発症までの自分と家族について。

まずは自己紹介から。

病気と関係無いと思われるような内容が多いかも知れませんが今一度自分を見つめ直すためにも書いておきたいと思います。

昭和46年10月に生まれる。
2つ違いの(学年は3つ)兄がいる二人兄弟。

小さい頃は怪我が多い子供で縫うことが必要な怪我を何かとしてました。

病気はこの家族性大腸腺腫症を発症するまではほとんど無かったように思います。
ただ、腸は弱くお腹の調子をよく崩してはいましたね。

小さい頃は兄の方が体が弱く特に小児ぜんそくはひどかったと思います。恐らくアレルギー反応を見るためだと思いますが背中にマジックで何カ所にも印をつけられそこに注射をうたれて、小さいながらに兄ちゃん大変やなー、かわいそうにと思いました。

その後、自分が病気を発症し逆に兄に大変やなー、かわいそうに思われるとはこの時、夢にも思わずのんきに過ごしておりました。

この頃は両親と兄と自分の四人家族。親父がちょっと特殊な職業のためほとんど家にはおらず何ヶ月かに1度帰ってくるような感じでした。

なので親父が帰ってくるのが嬉しくて家にいる時は親父の行くところにどこへでも着いて行きました。

仕事もがんばってくれてたおかげで稼ぎも良く小さい頃は結構贅沢させてもらいました。

この頃は本当に幸せを絵に描いたような家族だったと、この頃の写真を今見ても思うぐらいみんな良い顔をしております。

兄のぜんそくも大きくなるにつれて良くなっていきました。兄のぜんそくに良い環境を作るためにと即決で家を増築したことを思うとこの頃の親父は本当に稼いでいたんだなと今更ながら思います。

その頃、自分は幼稚園。自分の人生での幸せのピークはこの時期だったと思います(苦笑)

その後、自分が小学3、4年だったと思いますが、親父が職を変えることになります。それまでの職業は家にも中々帰れず、体力はもちろんのこと食事制限等の管理もかなり必要で心身共に限界だったんだろうと思います。

その後、親父は親戚の伝手もあり何を思ったか会社を始めることになるのです。

その頃、会社を始めるにあたって親戚の会社に一時的に行くことになるのですが、その姿を見てこれからは、ずっと親父がそばに居るのでうれしいはずが、なぜか嫌な予感が小さいながらにしたことを今でも覚えています。

その後、会社を始めて専業主婦だった母親も会社に出ることになり、距離的には家族全員近くにいるはずが、なぜか気持ちはばらばらと離れていったように思います。

その頃、祖母が自分達の面倒を見てくれるために同居するようになりました。

その後、従業員も増え、会社も大きくなっていきました。それに比例するかのように家族は離ればなれ、特に母親は慣れない状況に心身共に大変そうでした。

取引先との接待、資金繰り、そのストレスを発散するためかよく酔っぱらって帰って来て子供心に親父はだんだん以前とは違う人格になっていったように感じました。

そんな中、親父が取引先との接待中に目を大怪我し入院するということになりました。

今思うとこの頃が家庭崩壊の始まりだったように思います。寒い冬の時期でした。

親父の目は手術のおかげで何とか失明せずにすみました。でも何となく形と色が見える程度で視力は回復の見込み無し。ほとんど片目で生活しなければならないとのことでした。

入院も長かったように思います。自分も母親について隣町の病院まで何度も行きました。

そんな中、自分の体にも異変がおこり始めました。

その異変とは血便。

そのことを何か怖いやら恥ずかしいやらで母親に伝えたように覚えています。

その頃、母は仕事と親父の入院の世話やらで忙しくてそれどころでは無く、またそんな重大な病気と考えもつかずに大したことはないだろうと聞き流す程度でした。

ただその血便はその後も止まること無く、自分でもただ事ではないように思えました。

それは母も同じで、その後、地元の市民病院に診察に行くことになりました。

この症状が家族性大腸腺腫症というその名前すら知らない病気によるものだとはこの頃、誰も想像すらしてませんでした。

この頃、自分は12歳。小学6年生でした。

この続きはまた次回に。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-20 21:50 | 家族性大腸腺腫症 | Comments(0)
2011年 10月 19日

家族性大腸腺腫症と自分。今更ですがご挨拶。

先日まっきーさんという方にコメントを頂きました。

まっきーさんも自分と同じ家族性大腸腺腫症と判明し入院、手術をされたそうです。そしてその経験談を同じ病気の方々へお役に立てるならと体験談をブログに書かれております。

自分もがんと告知された時に必死で情報を集め、その時色々な方々、特に同じ経験をされた方々に助けて頂きました。

自分もまっきーさんのように、また自分が助けて頂いた時のように同じ病気で苦しんでる方々に少しでもお役にたてるよう、また今一度自分を見つめ直すきっかけとして家族性大腸腺腫症での自分が経験したこと、また少なからず影響があったその時の家族や周りの状況を、いつものカテゴリ記事と共に家族性大腸腺腫症というカテゴリを設け書いていきたいと思います。

今更ですがご挨拶までに。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-19 14:23 | 家族性大腸腺腫症 | Comments(0)