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2011年 10月 30日

家族性大腸腺腫症と自分。家族性大腸腺腫症と聞いた日。

近頃バイクネタがあまり無いですね。書くほどのことが無いというか...。

でも、天気の良い日はこの時期に乗らなくていつ乗るのかとばかりに何か晴れた日の義務のように乗ってます。

毎回飽きもせず同じコースを走ってばかりですが(なので書くネタが無い...。)やっぱり気持ちいい。この時期のバイクは最高です。

でもリヤタイヤつるつる...。ちょっと怖い。来月交換しましょ。

最近はそんな感じで気楽にバイクに乗れる日々ですが、2年前の今日は直腸の摘出手術をした日です。その頃のことからのことを思うと今こうして心身共に穏やかにバイクに気持ちよく乗れてることは何よりも有り難いこと。

皆様と健康に感謝です。

そんなことを感慨深く思いながら前回の続きを。

苦痛で終えた初めての大腸内視鏡とその時摘出したポリープの生検結果は、その後、親に伝えられました。

前にも書きましたが、この頃のことは自分が幼いこともあり詳しく説明されてなく自分のことながらあまりよく分かってません。

ただこの時から半年から1年に1回は大腸内視鏡を受けることになりました。

そして何回目かの検査をした時に初めて説明されたことは、通常ポリープが数個出来たら摘出してまた経過観察し、また数個出来たら摘出という繰り返し。ポリープが出来る数が少なく、同じような数で悪いものになっていく要素が少なければ通常はこんな感じで進んでいくところ、自分は数個摘出して、次回検査するとその倍ではきかないぐらいにポリープが出来ている。それが段々と数が増えていき、そのポリープの生検の結果があまり良いものではない。

そして診断された病名が家族性大腸腺腫症(家族性大腸ポリポーシス)でした。(この病気の詳しいことはリンクを参照して下さい。)

というかこの時は疑いがあるというものだったのかも知れません。

そう聞いても本人は、ちんぷんかんぷん。本当のこの病気の怖さを知ることもなく苦痛な検査を受け続けなければならないということだけが嫌でした。

この頃から2年前にがん宣告されるまで正直この病気のことをあまり深く知りませんでした。

というのも、また詳しく書きますが中学2の時の手術は、がんにはなっておらず予防的なものだったので、その後の検査もこの時、残した直腸にがんが出来ないようにと経過観察していました。

正直、この初めての手術から24年間経過観察していて細胞の生検の結果も良くないまでも直腸を摘出するほどのことまでにはいたらずだったので、がんになるのは怖くても、もう手術も嫌ですし、直腸を取って安心出来ても後の後遺症も大変、また24年も乗り切れたのだからとずっとこのままで行ける、というか行ってくれと思っていました。

この24年間乗り切れてたことで、怖い物に対して見て見ぬ振りをして自分の病気を調べるといこともせず、小さい頃からの通りに先生に任せておけば良いとずっと疑いもなく思っていました。

話が脱線しましたが、つい2年程前まで自分の病気の怖さを知っていませんでいた。

そして、小学6年生から中学2年生まで幾度となく繰り返された検査でしたが、ポリープの数も、もう大腸内視鏡では手に負える数ではなく、生検の結果もあまり良くない、そして家族性大腸腺腫症ということも考えて親に先生からある提案をされることになります。

それは、これからずっとあの苦痛な大腸の検査が続くのかと考えていた自分の遥か想像を超えたものでした。

この続きはまた次回に。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-30 16:13 | 家族性大腸腺腫症 | Comments(0)
2011年 10月 25日

家族性大腸腺腫症と自分。初大腸内視鏡。

昨日は月1回の外来。入院してたころからどうも肝臓の数値がちょっとだけ良くない。昨日の血液検査ではビルリビンの数値が高いとのこと。あまり気にするほどではないらしいけど、やっぱり気になる。

その他、おしりの処置で結構ビビってしまった。見方によっては拷問やな、あれは...。でも後々大変にならないための処置。これぐらいで済むなら楽な方だと自分に言い聞かしております。

そして今日から40代。無事に40歳を迎えられたことは本当に嬉しい。皆様に感謝です。今までの経験を糧に、そしてご迷惑おかけしたところは多いに反省し気持ちも新たにがんばろうと思います。


さて、そんなこんなで前回の続き。

前回の注腸検査から程なくして検査結果の知らせが来ました。やはり大腸ポリープがあるとのこと。

早速、大腸内視鏡をすることに。

大腸内視鏡とは、注腸検査の時と同じようにお腹を空っぽにして胃カメラと同様のファイバースコープをお尻から入れて観察し必要があればポリープなどを切除する(場合によっては切除出来ないこともある)検査です。

また検査か...。前回の検査が終わりほっとしたのもつかの間また検査、今度は何やら前回と勝手が違う様子。

でもこの時点では検査自体というより前処置の絶食と、天敵マグコロールの方が憂鬱で憂鬱でしょうがありませんでした。

でも、それが甘かったと気づくのにそう時間はかかりませんでした...。

で、やっぱり危惧してた通り前処置に苦しみ前回同様ぼろぼろで検査に挑むことに。

検査台に乗って先生が来るまでは前回と同様。やっぱりドキドキします。

でも注腸検査の時、バリウム入れる管を入れるのが思っていたより楽だったため割と余裕でいたように思います。

そして記憶が曖昧ですが、この大腸内視鏡検査の詳しい説明を自分にはされて無かったと思います。恐らく詳しく説明したら泣いてわめいて頑に拒否すると母親は考えたに違いありません。

でも少し前回と様子が違うことに注射を打たれ少しもうろうとしながらもだんだんと気づいてきます。

K先生のやさしい言葉も今回は少し勝手が違う。何か緊張感ある...。かなり不安...。

そしてその黒い物体が登場。

K先生の『さー、がんばろか!』

嫌な予感...。

そして程なく予感的中...。

注腸検査とは桁が違ってました。今から28年前のこの時のファイバースコープ自体、性能、苦痛度も含めて今より何かと大変だったように思います。

それを見落としが無いように入念に盲腸まで。そして必要があればポリープの切除していきました。

腸が湾曲したところにファイバーが通るのと、空気を入れて腸を膨らませるのが本当に辛くていつまでこの状況が続くのか時間が経つのが凄く長く感じました。

『先生まだ終わらへんのーっ!』と何度叫んだかわかりません。

あまりに自分が叫ぶのと、腸の状況を先生が説明するのに途中で母親が入ってきました。

検査の様子とその状況、そして叫ぶ自分を見た母親が辛そうな顔と声で自分を励ましてくれたのを覚えています。

そして何とか盲腸まで到達して抜いてくる際にも見落としが無いように観察しながらなのですが、入れている方向よりは少し楽。もう少しで終わるという言葉が何よりの救い。

本当はポリープを切除したら取り出すのですが、自分があまりに痛がるのでそのまま腸の中に放置して、汚い話ですいませんが、排便して取り出すことにしてくれてました。

時間がどれぐらい経ったか覚えてませんが、感覚ではもの凄く長かった気がしました。終わった後もぐったり。凄く疲れました。

これが初めての大腸内視鏡検査でした。今まで何回したかわからないぐらいしてますが、やっぱり嫌ですね。特に腸が全部あった時は本当に辛かった。

でもやっぱりこの時はまだ検査が終わったらお気楽に過ごしてました。

病気の状況も本人には把握出来ないだろうと知らされることは無かったし、検査が終了したらそれで終わりだと思ってました。

ポリープの生検の結果が分かるのがおよそ1週間後。

その結果は最初は親だけに告げられました。

そしてここから中学2年生の大腸全摘出手術までこの検査が続くことになります。

この続きはまた次回に。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-25 16:14 | 家族性大腸腺腫症 | Comments(0)
2011年 10月 22日

家族性大腸腺腫症と自分。初注腸検査。

この時期の詳細は自分のことながら幼かったこともあり病状の説明も本人には詳しくされておらず、それと何せ28年前のことで正直あまり良く覚えてはないところもありますが、わずかな記憶を辿って書いていきます。

まず症状をいって通された先は内科。この時、診察してもらった先生は覚えてませんが、まずされたことはおしりから指を入れて触診されたことだと思います。

これで痔かどうかなどを含む診断をしたんだとは思いますが、これが入れるだけでなくあちらこちらに向きを変えてぐりぐりとかなり力を入れて奥の方まで入れるもんですから、初めてのことでびっくりしたのと痛いので一発で病院恐怖症になりました。

この診断で痔ではなく大腸ポリープの可能性があるということで注腸検査をすることになりました。

注腸検査とは腸の中を空っぽにして、おしりからバリウムを入れてレントゲンで陰影を見る検査です。

数日後この検査の予約を入れてこの日は終了。

そして検査の前日、今とは少し違い記憶も曖昧ですが、お腹を空っぽにするために検査食のクリニミールという食事を取るのですがこれが自分には合わずにほとんど食べれずに絶食状態で1日を過ごしました。

そしてその夜にラキソベロンという液体の薬を水に溶かして飲んで就寝。

そして当日マグコロールという激酸っぱい液体の下剤を飲まなければならないのですが、これがまずくて飲めない。

飲めても吐いてしまう有様でかなり辛かったです。その後、大腸ファイバー、注腸検査の時は検査自体も辛く憂鬱なんですが前処置の絶食とマグコロールは本当に辛くて恐怖でした。

マグコロールという名前を聞いただけで今でも口の中が酸っぱく、お腹の辺りが気持ち悪くなってくる気がします。

そんなこんなで、ぼろぼろ状態で初の注腸検査に挑むことになります、

受付で指定の場所を聞きその前で呼ばれるまで待つのですが緊張と恐怖で死刑執行を待つ気分でした。

かたっと検査室の扉が開くたびに、びっくとしていたのを覚えています。

そしていよいよ順番が回ってきました。

片側に穴の開いているパンツを履かされて、台の上に寝かされます。腸の動きを止める注射ぐらいは打ったのでしょうか、この辺は曖昧ですが、そんな感じで心臓バクバク半泣き状態で検査をしてくれる先生を待ちます。

そして奥から先生の登場。小学生の自分にやさくし声をかけてくれます。

この人生初の注腸検査をしてくれたK先生が本当にやさしい先生で検査も上手くて今でもこの先生が
最初で良かったとつくづく思います。

やさしいだけで腕が今一というのはいけませんが、辛い検査、治療中にやさしい言葉で対応してくれるのは先生だろうと看護士さんだろと患者にとっては本当に救いになります。

そのK先生に少し緊張をほぐしてもらいつつ早速検査開始。

お尻にワセリンのような物を塗ってバリウムを入れる管を入れます。

これが何とこの間の触診よりかなり楽で少し拍子抜け。でも油断は禁物。今から辛いことがあるに違いないと思っていたのですが、多少空気を入れる時は辛いですが、その他はほとんど痛みも無く台の上で指示されるままにあっちを向いたり、こっちを向いたりする程度。

30分ぐらいで終了。

検査結果は後日ということでこの日は終了。

検査後に飲んだフルーツジュースが美味しかったの今でも覚えています。

この後、バリウムを出すのに下剤を飲み、またトイレに通わなければなりませんでした。

こんな感じで初めての注腸検査は終了しました。

今では検査自体も、もちろん辛いですが検査結果を待っている時間が一番辛く気がおかしくなってきそうなこともありますが、この頃は検査が終わればこっちのものと検査結果など気にもせずにお気楽に過ごしておりました。

その後、大変な大腸内視鏡の検査をすぐに受けなければならないとは夢にも思わずに。

この続きはまた次回。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-22 14:05 | 家族性大腸腺腫症 | Comments(2)
2011年 10月 20日

家族性大腸腺腫症と自分。病気発症までの自分と家族について。

まずは自己紹介から。

病気と関係無いと思われるような内容が多いかも知れませんが今一度自分を見つめ直すためにも書いておきたいと思います。

昭和46年10月に生まれる。
2つ違いの(学年は3つ)兄がいる二人兄弟。

小さい頃は怪我が多い子供で縫うことが必要な怪我を何かとしてました。

病気はこの家族性大腸腺腫症を発症するまではほとんど無かったように思います。
ただ、腸は弱くお腹の調子をよく崩してはいましたね。

小さい頃は兄の方が体が弱く特に小児ぜんそくはひどかったと思います。恐らくアレルギー反応を見るためだと思いますが背中にマジックで何カ所にも印をつけられそこに注射をうたれて、小さいながらに兄ちゃん大変やなー、かわいそうにと思いました。

その後、自分が病気を発症し逆に兄に大変やなー、かわいそうに思われるとはこの時、夢にも思わずのんきに過ごしておりました。

この頃は両親と兄と自分の四人家族。親父がちょっと特殊な職業のためほとんど家にはおらず何ヶ月かに1度帰ってくるような感じでした。

なので親父が帰ってくるのが嬉しくて家にいる時は親父の行くところにどこへでも着いて行きました。

仕事もがんばってくれてたおかげで稼ぎも良く小さい頃は結構贅沢させてもらいました。

この頃は本当に幸せを絵に描いたような家族だったと、この頃の写真を今見ても思うぐらいみんな良い顔をしております。

兄のぜんそくも大きくなるにつれて良くなっていきました。兄のぜんそくに良い環境を作るためにと即決で家を増築したことを思うとこの頃の親父は本当に稼いでいたんだなと今更ながら思います。

その頃、自分は幼稚園。自分の人生での幸せのピークはこの時期だったと思います(苦笑)

その後、自分が小学3、4年だったと思いますが、親父が職を変えることになります。それまでの職業は家にも中々帰れず、体力はもちろんのこと食事制限等の管理もかなり必要で心身共に限界だったんだろうと思います。

その後、親父は親戚の伝手もあり何を思ったか会社を始めることになるのです。

その頃、会社を始めるにあたって親戚の会社に一時的に行くことになるのですが、その姿を見てこれからは、ずっと親父がそばに居るのでうれしいはずが、なぜか嫌な予感が小さいながらにしたことを今でも覚えています。

その後、会社を始めて専業主婦だった母親も会社に出ることになり、距離的には家族全員近くにいるはずが、なぜか気持ちはばらばらと離れていったように思います。

その頃、祖母が自分達の面倒を見てくれるために同居するようになりました。

その後、従業員も増え、会社も大きくなっていきました。それに比例するかのように家族は離ればなれ、特に母親は慣れない状況に心身共に大変そうでした。

取引先との接待、資金繰り、そのストレスを発散するためかよく酔っぱらって帰って来て子供心に親父はだんだん以前とは違う人格になっていったように感じました。

そんな中、親父が取引先との接待中に目を大怪我し入院するということになりました。

今思うとこの頃が家庭崩壊の始まりだったように思います。寒い冬の時期でした。

親父の目は手術のおかげで何とか失明せずにすみました。でも何となく形と色が見える程度で視力は回復の見込み無し。ほとんど片目で生活しなければならないとのことでした。

入院も長かったように思います。自分も母親について隣町の病院まで何度も行きました。

そんな中、自分の体にも異変がおこり始めました。

その異変とは血便。

そのことを何か怖いやら恥ずかしいやらで母親に伝えたように覚えています。

その頃、母は仕事と親父の入院の世話やらで忙しくてそれどころでは無く、またそんな重大な病気と考えもつかずに大したことはないだろうと聞き流す程度でした。

ただその血便はその後も止まること無く、自分でもただ事ではないように思えました。

それは母も同じで、その後、地元の市民病院に診察に行くことになりました。

この症状が家族性大腸腺腫症というその名前すら知らない病気によるものだとはこの頃、誰も想像すらしてませんでした。

この頃、自分は12歳。小学6年生でした。

この続きはまた次回に。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-20 21:50 | 家族性大腸腺腫症 | Comments(0)
2011年 10月 19日

家族性大腸腺腫症と自分。今更ですがご挨拶。

先日まっきーさんという方にコメントを頂きました。

まっきーさんも自分と同じ家族性大腸腺腫症と判明し入院、手術をされたそうです。そしてその経験談を同じ病気の方々へお役に立てるならと体験談をブログに書かれております。

自分もがんと告知された時に必死で情報を集め、その時色々な方々、特に同じ経験をされた方々に助けて頂きました。

自分もまっきーさんのように、また自分が助けて頂いた時のように同じ病気で苦しんでる方々に少しでもお役にたてるよう、また今一度自分を見つめ直すきっかけとして家族性大腸腺腫症での自分が経験したこと、また少なからず影響があったその時の家族や周りの状況を、いつものカテゴリ記事と共に家族性大腸腺腫症というカテゴリを設け書いていきたいと思います。

今更ですがご挨拶までに。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-19 14:23 | 家族性大腸腺腫症 | Comments(0)
2011年 10月 16日

1年。

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今日でCBが自分のところに来て1年になります。

事故をおこすことも無く無事に1年を迎えられることに感謝です。

この1年、特に前半は手術を控えててその後あまり乗れなくなるのではと何かに急かされるように乗ってましたが、おかげさまで手術を終えた今でも以前とそこまで変わること無く乗れております。

今後はもう少しゆっくりのんびりと走れればと思います。

何せ自分もバイクも40歳。

人馬共に労って許されるなら出来るだけ長く乗り続けたいものです。

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10103Km。2年目はここからスタート。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-16 16:31 | バイク | Comments(4)
2011年 10月 14日

柳ジョージ。



この曲をテレビで見て何てかっこいい声とギターなんやと、その頃ギターにのめり込み始めた中学生の自分は迷うことなくレコードを手に入れ少し背伸び気分で聴いていたことを憶えています。

最近内外問わずその頃あこがれた方々達が次々とこの世を去っていくのは本当に寂しい限り。

この曲を出した頃の柳さんは38歳。今年自分は40歳。

今の自分の方が年上とは...。感慨深い。

今月の10日、63歳でお亡くなりになられたそうで何とも早すぎる。

自分もこの2年間死に直面する病気して考えたけど自分の幸せとは何か、それに対してあの時やっておけばよかったと思わないように生きれればと痛感しました。

先日同じく56歳という若さで亡くなられたスティーブ・ジョブスさんも有名なスピーチの中で死についてというテーマの中で自分が、がんと告知された時に考えたこととしてこう述べています。



自分が間もなく死ぬことを覚えておくことは人生の重要な決断を助けてくれる私が知る限り最も重要な道具だ。なぜならほとんどすべてのこと、つまり、他の人からの期待や、あらゆる種類のプライド、恥や失敗に対するいろいろな恐れ、これらのことは死を前にしては消えてしまい、真に重要なことだけが残るからだ。いつかは死ぬということを覚えておくことは落とし穴を避けるための私が知る最善の方法である。何かを失うと考えてしまう落とし穴を。あなたはもう丸裸だ。自分の心のままに行動しない理由はない。

皆の時間は限られているから誰か他の人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない。教条主義の罠にはまってはならない。教条主義とは他の人々の思考の結果に従って生きることだ。他の人の意見という雑音に自分自身の内なる声をかき消されないようにしよう。そして最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っている。その他すべてのことは二の
次だ。



人生1度きり。

やり残すのも悔い、やって迷惑をかけて悔いることもある。

いずれにしても後悔のないように。

心と直感に耳を澄まして。



ありがとうございます。

ご冥福をお祈りします。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-14 16:02 | 音楽 | Comments(0)
2011年 10月 06日

Steve Jobs

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ありがとうございました。

Macユーザーの端くれとして。


ご冥福をお祈りします。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-06 10:28 | 音楽 | Comments(0)
2011年 10月 03日

W1SA,CB750four.

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W1乗りのマスターと昨日は紀伊長島までプチツーに行ってきました。

一緒に走るのは結構久しぶり。お互い仕事の都合で時間が合うのがこの日ぐらい。

ということで今バイクに乗らずしていつ乗るのかという季節の中、久しぶりに2台でひとっ走り。

行き先はマスターにお任せで今回は紀伊長島。

前を走るマスターのW1は絶好調そのもの。バッフルを入れた排気音は以前より丸い感じになり何とも素晴らしい音。

さすがw1サウンド。

自分のバイクも絶好調。

なので気持ちよく高速ということもあり結構ハイペース。

そんな感じなのであっという間に道の駅紀伊長島マンボウに到着。

まったりと外で昼飯を食べながらあーだこーだと色んな話を。

ツーリング途中のこんな一コマが何より楽しく素晴らしい時間。

帰りがてらマスターの故郷、錦に寄りつつ帰路に。

帰りも高速。w1怒濤の加速と排気音。今までで1番調子が良い感じ。

またまたあっという間に地元に到着。

やっぱりバイクは良いなーと言いつつ今度は恒例のツーリングお疲れ呑み会に出発。

心地良い疲れに美味しいお酒と肴。

あー、楽しかった。

また行きましょ。
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by 1971cb750k1 | 2011-10-03 11:30 | バイク | Comments(3)